山口県が生んだレジェンド田中絹代
2025.01.30
田中 絹代は、今から約120年前に山口県に生まれました。14歳で映画女優としてデビューし、他界する前年の66歳までの半世紀以上、248作品もの映画に出演し、高い演技力から「ベルリン国際映画祭 シルバーベア最優秀女優賞」を受賞するなど、世界的に高く評価された大女優です。日本の映画史に輝かしい功績を残しました。
絹代が活躍したのは、まだ動画に音がなかった「サイレントフィルム」の時代から、「有声映画(トーキー)」、「テレビドラマ」が黄金期を迎えるまでの時代です。
絹代は様々な年齢、様々な時代の、様々な女性を生き生きと演じました。
さらに映画人として弛まぬ探究心から、6作品の映画監督も手がけました。絹代は日本初の女優映画監督です。女性ならでは、女優ならではの視点で絹代が制作した映画は、近年もフランスの複数の大都市で上映されるなど、世界中の注目を集めています。
絹代が活躍した時代は、まだ女性が社会に出て自由に活躍することが許されなかった時代です。女性が就くことができる職業はごく限られていました。
そのような時代において、女性が映画監督としてトップに立ち、男性が大半を占める大勢のスタッフたちをリードすることはとても画期的なことでした。
多くの監督やスタッフ、俳優に信頼され、数多の作品に起用されながら、絹代は映画人として輝かしいキャリアを築きました。
社会で女性たちが自由に活躍する今日は、絹代のようなかつての女性たちの数々の奮闘や流した涙の礎の上に存在しています。
大正と昭和、二つの時代を、力強く生きた田中 絹代の生涯を紹介します田中絹代の生涯はまもなく公開します。今しばらくお待ちください。
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